外来医師過多区域では医療法人M&Aが選択肢になる? 個人診療所の買取との違い
「外来医師過多区域に指定された地域でも、既存のクリニックを承継すれば開業できるのでは」——都市部での開業を考えるにあたり、今後考えられる選択肢だと思います。
結論からいえば、承継の形によって答えは変わります。ポイントは、「承継かどうか」ではなく、診療所の新規開設を伴うかどうかです。個人診療所の事業譲渡では開設者が変わるため、新規開設の手続が必要になります。一方、同じ医療法人が同じ場所で診療所を継続し、経営陣のみを交代させる場合は、通常、新規開設とは区別されます。ただし、移転や開設主体の変更を伴う場合は別の判断になります。
この記事のポイント ● 個人診療所の事業譲渡は開設者が変わるため、外来医師過多区域では新規開設の手続対象になり得ます。 ● 医療法人の法人格と診療所をそのまま維持した承継は、開設者が変わらないため、通常は新規開設の事前届出対象外です。ただし、移転や開設主体の変更などを伴わないか、契約前に行政へ確認する必要があります。 ● 同一法人を維持すると雇用契約や各種契約を継続しやすい一方、過去の債務や税務・労務・診療報酬上のリスクも法人に残ります。価格は「時価純資産+承継後も再現可能な修正後利益の数年分」を出発点に、潜在債務・追加投資・資金繰りまで確認して判断します。
① 外来医師過多区域で問われるのは「承継か」ではなく「誰が開設者か」
そもそも外来医師過多区域とは、外来医師や診療所が特に多く、地域で不足する外来医療機能の確保が必要として都道府県が医療計画に基づき指定する区域です。この区域で新たに無床の一般診療所を開設しようとする場合、原則として開設の6か月前までに、地域で必要とされる医療機能を担う意向があるかなどを届け出る仕組みが導入されます。歯科診療所は対象外で、自由診療のみのクリニックを含む無床の一般診療所全般が対象です。制度そのものの詳しい枠組みは別記事で解説していますので、ここでは今回の論点に関わる部分だけ確認します。
まず押さえておきたいのが適用時期です。制度は2026年4月1日に施行されましたが、6か月前の開設事前届出は2026年10月1日から提出対象となります。この日から届出を求める区域では、原則として2027年4月1日以降に開設する無床診療所が対象です。実際の対象時期は、各都道府県による区域指定と地域外来医療等の公表日を確認する必要があります。なお、この制度は外来医師過多区域での開業を一律に禁止するものではありません。新規開設者に事前届出を求め、地域で不足する医療機能を担わない場合には、協議への参加や要請・勧告等の対象とする仕組みです。
もう一つ重要なのは、この制度が対象とするのは新たに開業しようとする人であり、すでに開業している診療所は対象外という点です。ここで浮かぶのが、「既存のクリニックを承継すれば、新規開業には当たらないのでは」という発想です。ただし、この発想が成り立つかどうかは、承継の形によって大きく変わります。
② 個人診療所の買取と医療法人の法人格承継とで、何が違うか
承継には大きく分けて二つの形があります。一つは、個人の院長が運営する診療所を、買い手が事業譲渡で引き継ぐケース。もう一つは、医療法人が開設する診療所について、法人格と診療所はそのまま存続させ、社員・理事・理事長といった経営権だけを交代させるケースです。この二つは、外来医師過多区域との関係で扱いが異なる可能性があります。
個人診療所の事業譲渡では、開設者が売主個人から買主へと変わります。医療法上は、旧診療所の廃止と買主による新規開設という扱いが基本になるため、外来医師過多区域では新規開設の手続対象になり得ます。一方、医療法人の法人格をそのまま維持し、診療所も移転させずに代表者や理事長だけを交代させる経営権承継では、開設者である法人自体は変わりません。この場合は代表者変更届などの手続が中心になり、新規開設には当たらない可能性があります。
論点 | 個人診療所の事業譲渡 | 医療法人の法人格を維持した経営権承継 |
診療所の開設者 | 売主個人から買主個人等へ変更 | 同じ医療法人が存続 |
医療法上の開設手続 | 旧診療所の廃止と買主による新規開設が基本 | 代表者・管理者等の変更届が中心になり得る |
外来医師過多区域 | 新規開設として事前届出等の対象になり得る | 新規開設に該当しない可能性があるが、行政庁への事前確認が必要 |
保険医療機関 | 廃止・新規指定が基本。遡及指定は要件あり | 法人が同一なら代表者等の変更届が中心になり得る |
雇用 | 労働契約の移転にスタッフ本人の承諾が必要 | 雇用主が同じ法人なら契約は継続 |
債務・過去の問題 | 契約で引き継ぐ範囲を個別に定める | 法人に属する債務・問題は原則として残る |
同じ医療法人が同じ場所で診療所を継続し、社員・理事・理事長・管理者のみが交代する場合、開設者である法人は変わりません。そのため、通常は新規開設ではなく、法人代表者や管理者等の変更届が中心になります。
一方、医療法人M&Aであっても、診療所の移転、別法人への事業譲渡、新たな診療所の開設、廃止・再開設等を伴う場合は別の判断になります。契約前に予定するスキームを都道府県と地方厚生(支)局へ確認しておくことが重要です。
③ 医療法人の買取価格はどう決まる?「時価純資産+のれん」の見方
医療法人M&Aに一律の価格算定ルールはありません。中小規模の案件では、「時価純資産+修正後利益の数年分」を交渉の出発点とすることがありますが、「利益の2〜3年分」と決まっているわけではありません。中小M&Aガイドラインも複数の算定方法を示しており、最終的な価格はデューデリジェンスの結果や契約条件を踏まえた交渉で決まります。なお、個人診療所の事業譲渡では、引き継ぐ資産・負債の範囲と、譲渡対価の資産別配分を別途検討します。
時価純資産とは、決算書上の純資産をそのまま使うのではなく、資産と負債を実態に合わせて見直した金額です。資産については、医業未収金の回収可能性、不動産・医療機器の時価、生命保険の解約返戻金などを確認します。負債については、借入金やリース残債に加え、退職金の引当不足、未払残業代、診療報酬の返還見込額、税務・社会保険上の潜在債務なども反映します。近い将来の設備更新費用や原状回復費用は、価格調整または承継後の資金計画で別途検討します。
次に必要なのが「修正後利益」です。決算書に出てくる利益の額をそのまま使うと、実態とかけ離れた価格になりがちです。たとえば、売主院長の役員報酬は、承継後に必要となる医師の人件費や適正な報酬水準に置き直しますし、私的・臨時的な費用や節税目的の保険料、一時的な補助金や資産売却益は取り除いて考えます。一方、承継後も継続して発生する人件費、賃料、保守費、広告費などは、修正後利益に反映します。医療機器の更新や改装などの設備投資は、損益上の費用と同じではないため、価格調整または承継後の資金計画で別途検討します。院長個人の人脈や技術への依存度、患者数の減少傾向、診療報酬改定の影響、自費診療の再現性も踏まえる必要があります。ここで注意したいのは、営業利益・純利益・EBITDAは、それぞれ計算方法も金額も異なるという点です。本記事では、これらをひとまとめにせず、「承継後も再現可能な修正後利益」と呼んで区別します。
のれんの金額は、患者数・単価の安定性、売主院長への依存度、スタッフの継続可能性、賃貸借契約・施設基準、設備更新の必要性、買い手医師の専門性との相性などで変わります。継続患者が多く、売主院長への依存が低い案件は評価が上がりやすい一方、患者数の減少、主要スタッフの退職、賃貸借契約や設備更新、診療報酬返還等の懸念がある案件は評価が下がります。診療科ごとの固定倍率ではなく、承継後も利益を再現できるかで判断することが重要です。
数字で見ると、たとえば次のようなイメージになります。
項目 | 説明用の金額(単位:万円) |
時価評価した資産 | 8,000 |
時価評価・潜在債務を反映した負債 | ▲5,000 |
時価純資産 | 3,000 |
承継後も再現可能と見込む修正後利益 | 年1,000 |
仮に利益の2〜3年分をのれんとした場合 | 2,000〜3,000 |
価格の参考レンジ | 5,000〜6,000 |
※これは算定の考え方を示す説明例です。実際には、利益の定義、倍率、持分の有無、対価の支払方法、DDで判明した問題、売主との契約条件によって金額は変わります。
買い手が買収時に準備する資金は、売主へ支払う対価だけではありません。デューデリジェンス(DD)費用、仲介手数料、承継後の運転資金、設備更新・改装費も含めて資金計画を立てる必要があります。既存借入金の返済は買収時の対価とは分けて、承継後の資金繰りで確認します。売主の個人保証についても、解除や買い手への切り替えを金融機関と調整しておく必要があります。
最後に、対価の設計は、医療法人に出資持分があるかどうかで異なります。持分あり医療法人では、出資持分の譲渡代金と役員退職金を組み合わせることがあります。ただし、法人が退職金を支給すれば、その分だけ法人の現預金と純資産が減るため、持分譲渡代金と退職金を同じ基準日で調整し、二重計上を避ける必要があります。また、出資持分の取得と、社員・理事・理事長として法人運営に参加する地位は別のものです。持分を取得しただけでは経営権を確保できないため、既存社員の退社、新社員の入社、理事・理事長の交代まで一体で設計します。
持分なし医療法人には、譲渡できる出資持分がありません。売主への支払いは、適正な役員退職金、売主所有不動産の売買・賃貸、MS法人株式の譲渡など、案件の実態に応じて設計します。売主が基金の返還に係る債権を有している場合は、その譲渡や法人からの返還が取引に伴うこともあります。ただし、基金の返還には定時社員総会の決議、返還可能額、代替基金の計上などの制約があるため、法人の事業価値とは分けて検討します。
不相当に高額な役員退職金や、名目と実態が一致しない支払いは、税務・医療法人運営上の問題になり得ます。なお、相続税・贈与税で用いる出資持分の評価は、第三者間のM&A価格とは目的も計算方法も異なるため、そのまま流用できません。
提示された価格が妥当かどうかを判断するには、その法人に残る資産だけでなく、帳簿に表れていない債務や承継後に必要となる追加投資まで確認する必要があります。次に、法人格とともに引き継ぐリスクを見ていきます。
④ 法人ごと引き継ぐもの ― メリット、残るリスクの洗い出し
法人格を維持した承継では、診療所の開設主体としての地位、保険医療機関の指定、雇用契約、賃貸借契約などを継続しやすい点がメリットです。代表者や管理者の変更に伴う届出は別途必要であり、契約内容によっては相手方への通知や承諾も必要になります。また、診療を継続することで患者との関係も引き継ぎやすくなりますが、院長交代後の通院が保証されるわけではありません。
一方、法人に属する過去の債務や問題もそのまま残ります。借入金・リース債務・個人保証、未払残業代・退職金、税務申告の誤り、診療報酬の返還・指導監査、医療事故、設備更新負担などを、契約前のデューデリジェンスで確認する必要があります。
⑤ 患者・スタッフ・前院長との関係と、運営の引き継ぎ
法人格を維持した承継であっても、数字に表れない引き継ぎの難しさは、個人診療所の買取と変わりません。
院長が交代すると、一定数の患者が離れる可能性があります。診療圏や患者層が自分の強みと合っているか、前院長の診療方針を急に変えないか、電子カルテや医療機器の使い方が自分のスタイルに合うかは、契約前に確認しておきたいところです。患者データを確認する際は、年齢構成や保険・自費の比率、月別患者数といった集計・匿名化した情報を基本とし、個人が特定できる情報を扱う場合は、利用目的や閲覧者、保管・削除の方法、交渉が不成立になった場合の扱いまで契約で定めておく必要があります。
スタッフについては、医療法人がそのまま存続する承継では雇用主が変わらないため、個人診療所の事業譲渡のように労働契約の移転に本人の承諾を得る必要はありません。ただし、既存の労働条件や未払賃金、退職金の扱いといった労務上の問題は、法人にそのまま残ります。しかも、雇用主が変わらず労働条件がそのまま引き継がれるため、給与や手当を承継後に一方的に引き下げること(労働条件の不利益変更)は、原則としてできません。見直すには、従業員本人の同意を得るか、合理的な範囲で就業規則を変更するといった手続が必要です。前院長が承継後も勤務医や社員・役員、あるいは診療所物件の賃貸人として関係を続ける場合は、権限の範囲、勤務期間、報酬や賃料を契約で明確にしておかないと、後継者が主導権を握りにくくなることがあります。
運営面の引き継ぎにも、目に見えにくい難しさがあります。前院長のもとでは、診療の段取りや予約・会計の流れ、在庫や発注のルール、感染対策や個人情報の取り扱いといった院内の決めごとが、明文化されないまま「前からこうしている」という形で回っていることが少なくありません。こうした属人的な運用は、承継後に一つひとつ洗い出してマニュアル化し、標準化していく必要があり、思いのほか時間と労力がかかります。
まとめ
同じ医療法人が同じ診療所を継続し、経営陣のみを交代させる承継は、通常、新規開設とは区別されます。一方、移転、別法人への事業譲渡、廃止・再開設等を伴う場合は、外来医師過多区域の事前届出対象になり得ます。
法人を維持すると各種契約を継続しやすい反面、過去の債務や税務・労務・診療報酬上の問題も引き継ぎます。価格も一律の相場ではなく、時価純資産と承継後も再現可能な利益を出発点に、潜在債務、設備投資、運転資金まで含めて判断する必要があります。
医療法人M&Aを外来医師過多区域への対応だけで選ぶのではなく、法人を承継する経営上の合理性があるかを確認し、契約前に行政と専門家へ相談することが重要です。
執筆者:税理士 鈴木貴之(東京税理士会 上野支部・登録番号 第147721号)
※本記事は2026年9月15日時点の情報です。制度・税務の詳細は厚生労働省・国税庁の公表情報、都道府県・地方厚生(支)局、および顧問税理士にご確認ください。


